しあわせのかけらって

しあわせのかけらって文章に残そうと思わないんだよね。

つらい想いは文章にしてそこに封印してしまうのだけれど、

しあわせだと感じることは、

いちいち文章にしなくてもしあわせなのだから。


結果、かなしみのかけらばかりが文章として残るんだ。

しあわせのかけらもたくさん見つけてるんだよ。

わすれないように、

うしなわないように、

本当は書き留めておきたいのだけれど。

なかなか思いどおりに行かないな。

しあわせのかけらが文章にできないのはどうしてなのかな。


それはね、しあわせのかけらを文章に残せないのは、

封印する必要が無いからだよ。

文章にして残しておく必要が無いからだよ。


しあわせを両手いっぱい抱えて、

それでも溢れるくらいなら、

しあわせのかけらの文章も書けるのかもね。


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